母のこと その2

4月の骨折の時は、安静にしていればよかったのだが、その間に海外転勤になった娘家族を、先に赴任している婿殿に引き渡すため、私と夫とで香港まで出かけたり、川南へ姑の見舞いに行ったり、夫の首が動かなくなって休日当番医を訪ねたりなどしていたので、約5週間かかった。病院では大事を取って、動かさなようにしてあったので、また足腰が弱くなっていた。


その退院の後は、上の家で終日を過すようになったのだが、「胸が痛い!息が苦しい!」と言ってほとんど寝てばかりいた。それでもトイレだけは自分で行けるよう、なるべく歩かせるようにした。その結果、夜のトイレは自分で立ち上がったて、ポータブルトイレで用をすまし、ベッドにもどれるように」なっていた。火、木、土のデイサービスの日は朝9時から午後3時まで私に自由な時間が戻ってきた。


ところが、6月18日母が道路で転んで顔面を強打した。その日私は用があったので、2時間程外出をしていた。母には「出かけるから寝ちょきないよ」と言い残して、家の鍵をかけて出かけた。朝母が「昨日の夜は、眠れなくて一睡もしちょらん」と言っていたので、大丈夫だろうと思っていたのだ。ところが携帯に病院から「顔を怪我して運ばれてきた!」と連絡が入った。あわてて行ってみると、母の顔はお岩さん状態で、着ている物も雨に濡れて、靴は片方しか履いていなかった。興奮状態の母の話は一転二転三転して、どれが本当なのか分からなっかけど、私の姿が見えないので、杖をついて外に探しに出て、転んで、雨に濡れている所を、近所の奥さんが車で病院へ運んでくれたということだと思った。転んだ場所は家から100mくらい離れている。杖をついたとはいえ、あんな所まで歩いたとは驚きだった。


顔面打撲は、顔を7針ほど縫って2週間の入院予定だったが、6月28日に姑のハツヨさんが101歳で亡くなって、葬儀やなにやかやで忙しく、7月2日に退院した。顔の傷はきれいに治っていた。




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# by kimiyone-chan | 2018-08-27 23:00 | Comments(0)

母のこと 2018年4月まで

2010年に千葉から宮崎にUターンした時、母は妹のリエと二人で日之影の家に住んでいた。母は83歳だった。妹が入退院を繰り返していたので、家事は一人でこなしていた。まだ介護認定も受けていなかった。


2012年にリエが亡くなった時も、宮水の家には姑が住んでいたので、母は一人で暮らしていた。

その後だったと思うが、母は1回目の大腿骨骨折をして、3ヶ月高千穂の病院へ入院した。長くベッドに寝ていたが、入院中のリハビリで歩けるようになっていた。


2014年に宮水の家(上の家)を建替えることになって、姑は川南の義妹の所へ行ってもらった。私と夫は実家である母の家(下の家)に一緒に住まわせてもらった。家事も少しは分担してしていたが、階段を昇るののが辛そうな時もあった。


2015年の6月に母は「急性心筋梗塞」で県立延岡病院に緊急入院した。その時の先生に、「血管に細い所があるが、血液は流れている。バルーンを入れて血管を広げる手術もできるが、年齢的にリスクがある。どうしますか?」と聞かれた。私は即座に「手術はしません」と答えた。その時私はなんとなく、「母の命は後1年くらいなんだろう」と思ってしまった。7月になって、母を夜だけ上の家に預かることにした。午前中に下の家に車で連れて行き、お昼は自分で作って食べ、夕方上の家に帰って、食事をして泊まる。ということをした。下の方が母のお友達もいていいだろうと思ったのだ。


血液サラサラ等の薬をもらうために、3ヶ月ごとに高千穂の町立病院へ通った。病院はいつも混んでいて、待ち時間3時間ということもザラだった。母はいつも具合が悪そうで、心配して受診しても、何事も無く、同じ薬がでて、次の予約をして帰るということが続いていた。


2017年の12月に2回目の大腿骨骨折をした。前と同じ右足だった。先生は「手術をしないで自然に骨がくっ付く方法もありますが、寝たきりになる可能性があります」と言われた。寝たきりはかわいそうなので、91歳になろうとしていた時だったが手術をした。3ヶ月入院して、前のようにスタスタとは歩けなかったが、なんとか歩けるようにはなった。


高千穂の病院はいい病院だと思うが、毎日車で20分かけて通うのは大変だったし、薬が同じなら、なにかあった時日之影の病院でもいいのではないかと、ケアマネさんに相談して、日之影の病院へ転院した。


2018年3月に退院して、上の家で電動ベッドを使うことになったが、その時長女と孫達が同居していて、電動ベッドを孫達がさわると危ないので、私と二人で下の家で暮らすことにした。もう家事はほとんどしなくなっていが、洗濯物をたたむなどはしてくれていた。


4月になって母の胸に液体がたまって、県立病院へ搬送され、ドレーンで水を抜いて4日で退院。そのことはマイブログ2018年4月12日「なまるよ」を参照下さい。それから1週間もたたないうち今度は恥骨骨折をした。これはマイブログ4月17にち「母の再入院」を参照してください。日之影の病院では、食事は車椅子で食堂に行き、トイレはポータブルですませるようになっていたが、ベッドに転落防止のセンサーがついていて、あまり体を動かせないよだったので、ますます足腰が弱って、歩けないようになっていた。





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# by kimiyone-chan | 2018-08-26 20:52 | Comments(0)

まる・まる・バッグ

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まるのパターンを重ね合わせたバッグを作った。
花火のような、宇宙の惑星のような模様になった。

大きさも35cmx25cm
底の幅が9cmで使いやすいサイズだ。


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# by kimiyone-chan | 2018-08-14 13:15 | Comments(0)

施餓鬼法要

5日は菩提寺での「施餓鬼法要」でした。

餓鬼とは、亡くなった後に餓鬼道に堕ちてしまって、常に飢えや渇きに苦しんでいる者達のことです。施餓鬼とは、無縁仏やそういう者達に、食べ物や飲み物を施すことで、供養を行い、自らも徳を積む。ということらしいです。

お寺では、十数人の僧侶が鉦や太鼓を打ち鳴らし??華やかな??読経の後、島原からお見えになった坊様が説教をされました。とてもいい話で、ここに書きたいのですが、聞いたことが右から左に抜けてしまって、何も書けません(笑)(笑)

曹洞宗は禅宗で、坐禅を組みます。「坐禅の坐」は土の上に二人の人間が座っていることを表しています。一人は優しい仏心を持った人で、もう一人は邪心を持った悪い人で、二人が常に戦っている??状態だそうです。

毎朝 仏壇に線香を一本真っ直ぐに立て、「人間に生まれてきてよかた」と唱えなさい。

幼稚園児に「この世で一番偉い人は誰?」と問われて、「分からないから教えて!」と聞いたら「アンパン!」と答えたとのこと。アンパンマンは自分の顔をちぎって困っている人を助ける。これは仏心です。等々

お寺はなんとなく敬遠していた場所でしたが、お説教を聞くのもいいものだと思いました。





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# by kimiyone-chan | 2018-08-07 22:35 | Comments(0)

ブローチ

白と青の縞模様の生地で、フレンチスリーブのブラウスを縫った。
襟元が寂しいので、共布でブローチも作った。
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拡大  布に刺繍して、丸い厚紙に綿を載せて、周りを縫い絞り、ピンをつけただけ。

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# by kimiyone-chan | 2018-08-04 11:52 | Comments(0)

姑 四十九日法要

昨日姑の納骨式が行われた。菩提寺で法要の後、自宅でご近所の方のお参りを受けて、食事処で会食という段取りだった。


ここら辺の会食は、各自のお膳を注文して、その他に当方で煮しめやおにぎりを用意して、タオルとか洗剤のお土産と一緒にお膳を持ち帰るというのが普通だが、今回は会席方式にして、料理が小鉢などで順番に出てくるようにした。お土産(引き出物?)は付けなかった。


姑は101歳の長寿を全うしたということで、宴も始終和やかにすすみ、最後に夫が感謝の「俳句吟」を披露してお開きになった。


後になって私からの感謝の言葉を述べればよかったなと思ったので、ここに書き記します(笑)


◎本日は お忙しい中お集まりくださり、ありがとうございました。

結婚して、もうすぐ40年になります。お母さんと暮らしたのは4年間だけでしたが、たくさんの事を教えてもらいました。料理の事や、ご近所付き合い。冠婚葬祭の事、ぶっちゃけいくら包んだらいいにかという事(笑)。もう教えてくれる人がいなくなりました。


今回のお葬式も法要の事も、もっと違った遣り方があったのかもしれません。これからは夫と二人で相談しながらやっていきますが、なにしろ未熟者です。至らない事が多々あると思います。今後とも宜しくご指導くださいますよう お願いいたします。


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# by kimiyone-chan | 2018-07-29 08:33 | Comments(0)

三姉妹の長女であり、三姉妹の母です。


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