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あれから50年 3

私にはなりたいことが20もあったんだ!(笑)
少し大きくなって、中学校の家庭科の先生か、保健師になりたいと思っていた。いづれも大学にいかなければならないし、数学が必須だと知ってすんなりあきらめた。自分の努力不足以外のなにものでもないのに、高校生時代はどんより落ち込んでいた。

もどれるものなら、中学生に戻って勉強をやり直したい。今なら勉強の遣り方もわかるだろうし、知る喜びも感じることができるだろう。

中学高校でしっかり勉強していたら、今とは違った人生を歩んでいただろうか。夫とは出会っていただろうか。

夫と出会ってからの穏やかな生活は、幸せだと思うし、感謝している(心の中で)。


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by kimiyone-chan | 2017-02-26 13:38 | Comments(0)

あれから50年 2

五歳年下の妹たみ子は、よく本を読む子だった。近所の本屋さんの常連(買うのではなく立ち読み)で、私達が立ち読みをしていると、おばあさんに追い払われていたが、妹は公認されていた。漫画をよく描いていた。何歳ごろだったかは覚えていないが、なかなか上手いなあと思ったことがある。

テレビドラマで「次郎物語」というのをやっていて、それを見ながら号泣していた。♪次郎 次郎 見てごらん 白鳥は 風に向かって 飛んでいく ♪というテーマソングと共に忘れられない。とても感受性の強い子供だった。

セーターやカーデガンを、ズボンの中に入れるというスタイルも、独特だった。特別の美的感覚と言うものがあったのだろうか。

英語はNHKの基礎英語で覚えたそうだ。テレビを録画して、毎日繰り返して見たそうだ。繰り返すということが大事なのだ。


それらのすべてが、現在の職業に繋がっているのだなと思う。



二歳年下の妹 利枝は2012年58歳の若さで亡くなった。乳がんだった。

最初の入院の時、乳がんは外科だからなんでも食べられると、旺盛な食欲をみせたり、腹筋を鍛えたり、なにかの資格試験の勉強をしていた。

最後は人工呼吸器をつけていたが、弱音ははかなかった。


三人姉妹で、子供の頃はよく喧嘩をしていた。何かを取ったとか、触ったとか、どうでもいいようなことで、ワアワア、ギャーギャー言っていたように思う。大人になって、それぞれに家庭を持って、落ち着いて話ができるようになった。その妹が一人欠けてしまった。もっと話したり、旅行したり、楽しいことがあったのになあ・・・と思う。



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by kimiyone-chan | 2017-02-21 17:07 | Comments(1)

あれから50年 1

母は90歳になった。明るくて活発だったのに、心筋梗塞を患ってからあまり出歩かなくなった。毎日「動悸がする。動悸がする」と弱弱しく訴えるが、自分の身の回りのことは全部自分でできる。食欲はあり、足がフラフラすると言いながらスタスタと歩くこともできる。正座も平気だし、会話も難聴という程ではない。


夜の発作が怖いので、同居するようになって一年半たった。実の娘との暮らしはどうなんだろう。遠慮がない分言葉がストレートすぎることは反省しなければならない。


いずれ行く道 私もいずれそうなるかもしれないから、もっと話し相手になればいいのだけど、毎日の忙しさにかまけてしまっている。


父は大正9年の生まれなので、先の戦争に従事していた。戦争中のことは怖くて聞けなかったが、いくつか記憶に残っていることがある。


○夜の見張りの時、足元でごそごそ動くものがあり、何か分からず銃剣でコツンとたたいて、翌朝見たら猛毒のさそりだっ  た。かまれたら死んでいただろう。

○戦場で歯が痛くなったらいけないので、健康な歯の神経も抜いていった。

○兵隊に支給されるお給金を使わずに貯めていた。結構な金額が貯まり喜んでいたら、戦後の混乱と貨幣価値の暴落で、紙切れ同然になった。


肺結核を患っていたので、長生きはできないかもしれないと思っていたが、85歳まで生きてくれた。

いつも体を横にしている印象があるのは、呼吸が辛かったからなのかと、今頃思う。



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by kimiyone-chan | 2017-02-17 16:20 | Comments(0)

私の家族 5

さてこのようにして家族の一員としての自分はどうだろうかと、反省を兼ねて考えてみた。

私の欠点は少し怠け屋さんということだ。気が向けばなんでも言われないうちにする。しかし、自分でしようと思わないことは、する気がしないのだ。良い点は気の向いたことを、言われない内にすることと、自分の物の洗濯や片付けをすることだ。

将来の夢は二十以上持っている私だが、大人になってどれになろうか迷ってしまう。私はさすがに長女だけあって、うちの事を大部手伝っている。六年も前から手伝っていてくれた姉ちゃんがお嫁に行ったので、その間手伝いをしなければならなかった。時々母の変わりに夕飯をつくるが、得意な料理はカレーライス、サラダ、魚の煮付け、味噌汁、チキンライス、焼き飯。なんでもしてしまう。

私も妹のたみ子に負けないくらい本好きだが読むひまがなくて残念だ。今のところとても忙しいので、夜の来るのがとても早く感じられる。もう少し自由な時間が欲しい。だが、やはり私は、やるべきことはやらなければならないのだから、いやいやするのではなく、好きでするのだから、あまりきついとは思わない。忙しいことはきついけれど、楽しいことだ。父も母もそう思っているだろう。

私の家族は非常に楽しく、皆が助け合っているので幸福である。これから私達が成長して、この家族と別れ働きに行くかもしれない。そんなことがあっても決して忘れられないだろう。


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by kimiyone-chan | 2017-02-15 17:13 | Comments(0)

私の家族 4

この妹に対して私の直ぐ下の妹の利枝(りえ)は少し違っている。三年生で、見かけは目がくりくりしてとても可愛いく、先生の前や人の前では普通の丁寧な言葉を使う。だから性質を知らない人がみると、可愛くて利口そうに見えるのだろうが、本当の性質はまるで反対だ。

もし勉強している時私がちょっとでも歌ったりすると、「いー だまっちょけー」とヒステリーを起こしす。肉が大好物で人の肉まで欲しがる。遊びから帰ってくると「あーひもじい。ひもじい」と言って飢える。かつえん坊である。

また末っ子のたみ子のよい遊び相手でもある。私が都合で遊んでやれない時は、よく遊んでやっている。私がわらない宿題を親切に教えてやると「違わーい」と言ってヒステリーを起こしてしまう。こんな性質だ。一番困るのは私に喧嘩を仕掛けてくることだ。もし私がポンと肩をたたいて謝ると、それではすまんと言ってたたき返す。これが喧嘩の元になることが多い。



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by kimiyone-chan | 2017-02-12 16:55 | Comments(3)

私の家族 3

次に我が家の一番きかん坊である、末っ子のたみ子のことを考えた。少しおしゃれで、自分の気に入った服しか着ない。「これとこれは似合わない」と言って駄々をこねる。

本が好きで、小学校二、三年生の本をぺらぺら読んで、一冊の本を一時間くらいで読んでしまう。時々自分でお話を作ったり、漫画を描いたりして大人の人を驚かせる。いったいどんな大人になって何になるかは分からない。私の考えでは、おしゃれで勝手気ままな大人になりそうで、少し心配だ。

性質は勝手やさんで、少女週刊誌を買ってくると、「私が一番よ」ち言って、じゃんけんで負けても「私よ。私よ」と言って先に読んでしまう。読ませないと噛み付いたりする。こんな荒っぽい性質である。少しこましゃくれで、母が食後の果物を持ってくると、「おっ、気前がいいぞ」と言って笑わせる。



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by kimiyone-chan | 2017-02-09 13:43 | Comments(1)

私の家族 2

次に父である。私の父は五年ほど前に入院生活をしていたことがあるので、体が弱く、力仕事や無理なことがあまりできない。それで店の小さいことは一切母に任せて、遠くや近くの配達と帳簿付けが主な仕事である。

父はよそのお父さんにくらべて大変優しい。でもやっぱり怒ると怖い。いつも背中を曲げて外またで歩くのでずんぐりしているようだが、お客さんに面白いことを言って笑わせたり、時には小さい子に飴やみかんをやったりする。私や妹の宿題で分からないことは優しい方法で教えてくれる。国語の漢字で分からない事を聞くと「ふうん今はこうやって書くのか、昔はこうやって書いたんだ」とタバコを口にくわえながら、えんぴつを手にとって紙にかきながら教えてくれるよい父である。私はこんな父が大好きだ。

時には料理作って食べさせてくれる。父の料理を「上手い」と言うと母が「そりゃ上手いよ。私よりいい材料をたくさん使うもの」と言う。もちろん母の料理も上手い。

父には二ついけない癖がある。それは役場でご飯もたべずに碁を打っていることである。それを母はひどく心配している。それともう一つは、店仕舞いをした後遅くまでパチンコをしていることだ。パチンコ屋の空気はあまり良くないし、それに父は病気からようやく抜け出した体だ。またいつ悪くなるか分からない。どれもこれもやめてくれやまてくれと言ったら、父の憩いがなくなってしまうから、加減してするようにすべきである。


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by kimiyone-chan | 2017-02-05 17:04 | Comments(0)

私の家族 1

私が小学校5年生の時書いた作文を、母が保存しておいてくれた。
西臼杵郡の作文コンクールで金賞を頂いた物だ。


わたしの家族

日之影小学校5年 赤星公代


私のうちは食料品店をしている。食料品といっても野菜、果物、缶詰、菓子を主として、ちり紙、たわし、箸、洗剤などを売っている店なので、毎日に必要になるものばかりだ。それで夕方の混雑は大変なものである。


私の家族は五人で、普通のうちならお父さんが大黒柱だが、うちの場合は母のような気がする。狭い家だが、家族円満で、私達がけんかをするだけで、親は全然しない。いい家で私は何一つ不満がない。まず、私の最も身近な母のことを考えてみよう。


母はまず一番の働き者である。また我家になくてはならない存在である。今年の四月まで朝一番のディーゼルで、雨の日も雪の日も、野菜やちくわ等を仕入れに延岡まで行っていたが、六年間も私達のために働いてくれていた店員さんがやめたので、延岡行きはやめた。母は朝ごはんの支度から店の掃除、配達と少しの休むひまも無い。電話がかかってくるとすぐにバイクで配達にでかける。夕飯後も片付けや店仕舞があるので、私達の勉強をちっともみてくれない。働くことが趣味のような母だ。こんな母がかわいそうだ。時には電話がなかったら配達の分だけ助かるのにと思ったこともあった。

こういう忙しい母も、朗らかで優しく適当に厳しい。だから私達一家をうまくまとめている。自分の背が高いので私の背が日増しに高くなるのをみて、「そんなに高くなるとおかしいよ」と言う。また私が学校に行く時髪をうまく結っていないと「はいピン。もっと上手く結えんとね」と自分の頭にしていたピンをはずしながら言う。

こんな母であるが私の成長に気を配ってくれる。私が頼みもしないのに新しい服を作ってくれる。こんな母が大好きである。今の顔と昔の写真を見比べると、今の顔の方が明るく健康そうでだ。昔の写真は沈んだような、笑ったことの無いような、そんな顔をしている。母がなんといっても一番怒るのは夜遊びと姉妹喧嘩の時である。これからは気を付けなければ、母の顔に怒った皺が増えてしまう。



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by kimiyone-chan | 2017-02-04 10:50 | Comments(2)

三姉妹の長女であり、三姉妹の母です。


by kimiyone-chan
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