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ねーちゃんのひとり言

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2月23日のこと Ⅱ

22時過ぎに病室に着いた時そこには、母と従姉妹夫妻と本家の従兄弟夫妻がいてくれた。私は利枝の今の姿をあまり見せたくなかったので、本家の従兄弟夫妻がいることには、正直驚いた。しかし、彼らがそばにいてくれることが、どんなに励ましになり、力づけられたかわからない。迷惑をかけたらいけないと思うより、お互い様だと思うことが、大切だと思うようになった。

利枝は酸素マスクを装着して荒い息をしていた。目が乾くからだろうか湿ったガーゼが目にかけられていた。モニターの数値は血圧が68から72くらいを示していた。利枝はもともと血圧が低く100ないくらいだったが、そんなことも姉妹なのに今まで知らなかった。医師の話では、「今は痛みも苦しみもなく、話声は聞こえているので、話しかけてあげて下さい」とのことだった。私達は口々に利枝の名を呼んだ。

次男が到着したのは、24日の0時30分頃だったと思う。すると血圧が114に上昇した。

医師からは「今後、血圧の低下や心拍の乱れがあった時に注射や薬を使うことができますが、どうされますか」と尋ねられた。「延命措置はしないと妹と約束してあるので、だだ静かに逝かせてやって下さい」と答えた。妹はこのお正月に、二人の息子と母と四人で鴨鍋を囲んで和やかに食事をしていた。長男が間に合わないかもしれないが、許してもらおう。気丈にふるまう母を気遣って、日向の従姉妹が家に連れて帰ってくれた。

次男と夫と三人で、利枝の手や足をさすりながら、ふと長男はどうしているのだろうと思った。あれからすぐに帰途についているだろうか。まだ徳島にいるのではないだろうか。午前4時頃「飛行機で宮崎に来なさい」とメールすると、「わかりました」と返信が来た。彼も眠れない夜を過ごしていたに違いない。すると夫が「宮崎・徳島の直行便はないよ」と言う。それから携帯で交通手段を検索してくれている間、たみ子にもメールすると「まず徳島から羽田に飛んで、羽田から宮崎に行くしかない」ということになった。徳島から神戸に行って、新幹線で小倉。それから日豊本線で延岡。より30分早く日向市に着くらしい。

そのやり取りが4時30分頃だったと思う。看護師さんが来て「脈の低下がみられます。すぐにお母さんを呼んで下さい」と言われた。利枝の様子を見ていると、静かに動いていた酸素マスクがすーと動かなくなった。「あ、利枝が息をしちょらん!」
時計は4時45分を示していた。医師が来て死亡を確認したのは、4時49分だった。
by kimiyone-chan | 2012-03-09 16:36 | Comments(0)

三姉妹の長女であり、三姉妹の母です。


by kimiyone-chan