永遠の0(ゼロ)
現代の若者が、「特攻で死んだ。」とだけ聞かされていた祖父のことを、元戦友達の証言をもとに調べていくという物語でした。
祖父 宮部久蔵はゼロ戦のパイロットでした。敗戦色濃厚な中、仲間からは「卑怯者」とさげすまれながらも、「娘に会うまでは死ねない、生きて妻のもとへ帰る」と言い続けていたのに、なぜ、特攻に志願したのか?
昭和27年生まれの私にとって、戦争は過去のものですが、全く関係のないことではなく、どこか戦争のしっぽを引きずって生きてきたような感覚があります。宮部久蔵は大正8年の生まれで、亡くなった父と1歳違い。戦死したのも26歳で、私の子供.達と同じ年頃。父も戦場にいたのだと思い、子供達の年で・・・とのめりこむように読んでいきましたが、戦争についても、ゼロ戦についても、特攻隊についても、当時の海軍の上層部についても、アメリカ軍についても、なにも知らないということに、気づかされました。
今、世界地図を開いて、地名を確認しながら、改めて読み返しています。
お勧めの一冊です。
理解できないもどかしさをこの歳まで引きずっています。
戦時中、従軍看護婦をして帰国した。
今年母から「これしか残っていないけど」と一冊の紐綴じの本をもらいました。
2名の寄せ書きしか記載がありません。
「勵精奉公」→「励精奉公」
一文字と年月日帰属と氏名のみでした。
ただ、そのページにメモがありました。
「第5枚目にかかせて貰いました
壮年お偉い方にそこより前方に
かいてお貰いになるために」
胸が詰まりました。
名前をネットで調べましたらなんとか
須野敏夫 陸軍少将 公主嶺陸軍病院長
戦没者叙位の名簿に記載がありました。
少し胸のつかえが取れました。
昭和万葉集 講談社
なかなか進みませんが読んでいます。