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三姉妹の長女であり、三姉妹の母です。
by kimiyone-chan カテゴリ
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2012年 05月 20日
三人娘の末娘が結婚した。
婿殿はたいそう律儀で、まず、私達両親に結婚の承諾を受けに来て、それから双方の両親を引き合わせ、結納をかわし、結婚式を挙げるという手筈にしたかったらしい。 ところがこちらは、利枝の病気のことがあり、思いどおりに事を進めてあげることができなかった。去年の11月に婿殿と娘が私達に会いにきた時、利枝と母と一緒に延岡の鮎やなへ食事に行った。利枝からは簡単に承諾したらだめだよ(笑)とアドバイスを受けていたが、ガチガチに緊張している彼を見て、いい人に違いない!と思い、「結婚のお許しをいただきたい」と言われた時は、夫も私も即答で「いいですよ」と答えていた。 その後すぐに妊娠していることが分かり、元旦の入籍となり、先方のご両親がこちらまでご挨拶に見えるということになったが、利枝や姑のことがあり、伸び伸びになって、ついに2月23日のあの顛末となった。 それでも、5月9日には 千葉市内で先方のご両親と初めてお会いし、結納の品を納めていただき、12日の船上結婚式となった。 ![]() 5月12日は風は強いものの、よく晴れていて、ナイスクルージング日和だったのだろうが、周りの風景を楽しむゆとりもなく、沢山の人達に祝っていただき、2時間半があっという間に過ぎてしまった。 花嫁の母として、何か思うところがあるかと、聞かれたが、特にはない。 だだ、娘にはこれからもずっとずっと幸せでいてもらいたいと思う。 その昔,私達に子供を授かった時、この子の幸せを願った。大病もせず、事故にもあわず、まがりなりにも幸せに暮らしてこられたと思う。これからはその舵取りを婿殿に託し、二人で新しい幸せを築いてほしいと思う。 本当なら、娘の結婚も出産も、母としては一大事で、いろいろすることがあったのだろうけど、利枝のことを考えるのが第一だったので、後回しになってしまった。許せ娘よ! 結婚式も無事に終わった。今度は出産だ!お産に関する知識も昔と変わっているらしい。 さあ、先輩ばあばから、いろいろ情報を集めなければ!! 2012年 05月 15日
娘の結婚式に母も同行することになった時、その移動手段をどうしようかと考えた。元気だといっても85歳。去年骨折して、スタスタとは歩けない。そこで、車椅子を利用することにした。
熊本空港は杖だけで歩行できたので、羽田で車椅子を手配するのを忘れ、空港の端から端までを歩かせてしまった。動く歩道はあるものの、手すりは右にあったり、左にあったりして、不便だった。搭乗の時カウンターで頼んでおけば良かったのだ。 結婚式場は船だったが、ここは予め予約してあったので、屈強な若者が4名で母の車椅子を持ち上げ、階段の上り下りをしてくれた。 翌日は新幹線の利用だったが、改札で手配を頼むと、号車の前まで駅員さんが運んでくれた。私は自分で押すものと思っていたので、荷物は肩にかけて両手をあけていたら、全部駅員さんがやってくれた。列車に乗り込むまで見送り、車内は車掌さんが案内してくれ、着いたホームには次の車椅子が待っていた。東京駅の構内も駅員さんがスイスイと押してくれ、エレベーターを使って、地下5階の総武線のホームまで運んでくれた。 八街駅は小さいので、そこでの車椅子は断ったが、特急の中で車掌さんが車椅子の手配はいいのですかと聞きに来た。情報は共有されているらしい。 母も私も皆に親切にされ、大いに感激した。母は数年前までは、車椅子に乗ることを遠慮してためらっていたが、今では母が車椅子を利用することが、皆のためになることを十分に理解している。多少の気恥ずかしさはあるものの、お姫様気分も味わえ、怪我することもなく、まわりがスムーズに動くので、いいことだと思う。 2012年 05月 07日
娘の結婚式が近づいてきた。
私は娘が三人いるので、すでに留袖を誂えてあった(呉服屋の薦めにのせられて)。そこで船上パーティーではあるが、留袖を着ることにしていた。すると二人の姉達も振袖を着ることにになり、妹も義弟も着物を着ると言い出した。後は母であるがフォーマルなドレスなどないので、母も薄紫色の付け下げを着ることにした。 着物と帯はあるが、草履とバッグはどうしよう。草履は友人の和装小物の店「百々ん」にいいのがあった。 バッグは手芸屋さんに薄紫のちりめんがあったので、鼻緒に似たちりめんをはさんで作った。 持ち手も「百々ん」にあったバッグを参考にした。見えずらいが薄紫と黒のちりめんが二列になっている。内側も巾着にして、中身がこぼれないようにした。 夫は紋付ではなく、モーニング?を借りることになった。 5月12日 東京湾が晴れるといいな。 2012年 05月 05日
5月4日 日之影温泉駅にて日之影中学校第21回卒業生の
還暦同窓会がありました。 卒業生164名のうち、物故者10名 住所不明者17名で 72名と先生2名の出席をいただきました。 準備は昨年の秋?にまず告知の葉書を出すことから始まり、打ち合わせという名の飲み会を7回ほど開きました。5年前の同窓会の名簿を元に 住所変更者を調べ、普通葉書にパソコンで印刷し投函しました。メールの時代ですが、あえて葉書を使いました。 そのおかげか、76名の出席予定者がありましたが、直前になってやむなく欠席になった人が2名ありました。 「日之影三大橋・深角駅・日之影新旧中学校をめぐりるバスツアー」 「高千穂・.荒立神社の厄払い」「何か赤い物を身に着けて参加する」 「歓迎の神楽・荒神の舞」「日本舞踊」「津軽三味線」「校歌斉唱」などを企画しました。 「私達の60年の歩み」というおおまかな年代事の出来事をプリントして、回覧にしましたが、 小冊子を読むより、顔を見てお話するほうが夢中で、これはどこかにまぎれてしまいました。 その他にも、個人で出席者全員に湯のみを焼いてきて下さった方があったり、今までの同窓会のアルバムを作ってきて下さった方があったり、スィーツのや飲み物の差し入れがあったりして、一人一人の協力で大変楽しい会になりました。 次は温泉一泊!などの声もあり、何年後にするかも含め、又.楽しい準備が始まりそうです。 2012年 05月 01日
4月29日大人歌舞伎を見に行ってきました。
今回は帰省中の長女と母と姑と一緒です。 九州唯一の農村歌舞伎で、地元の保存会の人達が、仕事の合間に練習を重ね、立派な舞台を見せてくれました。 演目は①寿三番叟 ②絵本太閤記二段目・本能寺の場 ③白波五人男・稲瀬川勢揃いの場 ![]() 演目は去年の秋の公演と同じでしたが、白波五人男の衣装も立派に豪華になり、なかなかの物でした。 この一帯を治めていた武将 甲斐宗摂を偲んでの公演で、400年以上の歴史があるそうです。 2012年 04月 25日
キルト教室が3月4月は休みだったので、宿題が出た。
なんて言うのかしらないので、「狐と苺のパターン」と呼ぶことにした。狐と苺をそれぞれに、裏をつけて縫い合わせ、となり合わせにかがっていく。表も裏もかがると小さなポーチができる。それに飾りファスナーを付けて、出来上がり。 ![]() 左端がそのポーチで、がま口(右)も作ってみた。 ポーチを作りながら、このパターンを拡大したら丸いフォルムのバッグになるだろうと思って、200%に拡大した。 今度は、キルトもミシンで大まかにやったし、ゾウラクナ仕事だったので、3時間くらいで、中央のバッグが出来上がった。 持ち手に工夫がなかったので、また違う布でやってみようと、思う。
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着物と帯はあるが、草履とバッグはどうしよう。
なんて言うのかしらないので、「狐と苺のパターン」と呼ぶことにした。